広島高等裁判所岡山支部 昭和45年(く)9号 決定 1970年11月02日
少年 M・S(昭二六・七・七生)
主文
本件抗告を棄却する。
理由
本件抗告の趣意は記録編綴の附添人豊田秀男、同嘉松喜佐夫共同作成の抗告申立書記載のとおりであるからここにこれを引用する。
これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
論旨第一点について
所論は要するに、原決定が少年法第三条第一項第一号の「罪を犯した少年」には行為当時心神喪失の状態にあつた者をも含むと解釈し、少年に対し医療少年院送致の保護処分の決定をしたのは法令の解釈適用を誤つたもので、原決定にはこの点で決定に影響を及ぼす法令の違反があるというものである。
なるほど原決定が右少年法の規定の解釈について、保護処分は非行に対する少年の責任を問う趣旨のものではなく、少年の非行性を除去して社会への適応を図ることを目的とする見地から、行為当時心神喪失の状態にあつた者も保護処分の対象になるものと解し且つ本件に同法条を適用処分したことは所論のとおりである。しかし、原決定は本件当時少年が心神喪失の状態にあつた可能性が大であると認定してはいるが、心神喪失の状態にあつたとまで断定しているのかどうか必ずしも明らかでない。
そこで、先ず少年が本件当時心神喪失の状況にあつたか否かについて検討する。記録によると、少年は智能が低く、性格にかなりの偏りがあること、ホテルに投宿しているアベックの部屋覗きをしたり、死んでやるといつて庖丁を持つて家を飛び出し警察官に保護されたことがあること、本件が七四歳の老婆および四六歳の中年婦人に対する性的犯行であることなどの異常行動が見られること、これらに昭和四四年三月ごろ医師から接枝性精神分裂病と診断されて治療を受けたことを合わせ考えると、たしかに少年の精神異常が認められ、本件は右の精神障礙によるものではないかとの疑いが十分ある。
しかし、少年の精神分裂病は初期の段階にあつて、専門医の治療によつて早期に寛解状態に達するものであること、少年の司法警察員に対する供述調書によると、少年は犯行前後における行動、被害者の言動、犯行現場の状況等についてかなり細部にわたつて記憶し、その供述に病状を思わせる矛盾や奇矯が見られないこと、原判示2の○○寺における犯行は住職が不在で被害者一人が寺守をしており、同寺には数日来水行にくる自分以外に参詣者のないことを見定めたうえの犯行で、しかも本堂下の小屋での犯行中通行人の気配で姦淫行為を中止した際、被害者から「こんなかつこうでは帰えられない」といわれて、先に本堂ではぎとつた同女のスカート、パンツを持参して着用させていること、捜査官に右被害者に対する姦淫行為を否認していた理由についての弁解が一応筋の通つたものであることなどが認められ、これらの状況に徴すると、本件犯行当時少年が是非善悪の弁識能力および行動統御能力に欠けたいわゆる心神喪失の状態にあつたものとは認められず、右の能力が著しく低い程度の領域にあつたもの、すなわち心神耗弱の状態にあつたものと認めるのが相当である。してみると、少年は少年法第三条第一項第一号の「罪を犯した少年」として保護処分の対象になることが明らかで、原決定の右少年法の規定に関する解釈に所論の誤があるとしても、結局同法条を適用して少年を医療少年院に送致することとした原決定には決定に影響を及ぼす法令の違反はなく、論旨は理由がない。
論旨第二点について
所論は要するに少年を医療少年院に送致する旨の原決定の処分は著しく不当であるというものである。
記録によると、少年は前示精神分裂病の初期の段階にあつて、専門医による早期治療が極めて必要であるところ、保護者の父母は少年が単にノイローゼにすぎないと強調し、信仰ないし精神修養により改善できると主張し、昭和四五年八月七日ごろ、母の実家に墓参に赴く際、当時精神病院に入院して一箇月しか経過していない少年を、医師から引続き治療の必要がある旨忠告があつたにもかかわらず、退院させて本件犯行地の○○町の実家に伴い、○○寺において水行をさせていた有様であつて、保護者の適切な保護を期待できないうえ、少年の精神病は精神薄弱を伴う接枝性精神分裂病であるから分裂病の治療に並行して矯正教育を通じ生活訓練、職業指導を行い、社会適応性をも涵養する必要が認められるので、医療少年院に収容して医療および矯正教育を施すのが相当である。してみれば、原決定には処分の著しい不当はなく、論旨は理由がない。
よつて、少年法第三三条第一項、少年審判規則第五〇条を各適用して本件抗告を棄却することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 高橋正男 裁判官 三宅卓一 石田登良夫)
参考一
少年〔M・S〕
附添人豊田秀男、同嘉松喜佐夫の抗告趣意(昭和四五年一〇月九日付)
第一、法令違反の主張
原決定は少年法第三条第一項第一号の解釈をあやまつた法令違反がある。すなわち、
一、原決定は、少年法三条一項一号の「罪を犯した少年」とは、行為当時、心神喪失の状態にあつたものを含むとしたのであるが、これは解釈をあやまつていると考える。
二、原決定は右解釈の基礎的見解として「保護処分は非行に対する少年の責任を問う趣旨のものではなく・・・」とのべているが、このことばはいささかあいまいである。たしかに保護処分は刑罰ではないが、犯罪を含む非行を契機として少年に対して課せられる強制処分であることを考えるならば、それは単なる保護ではないのである。
少年法は各種の保護処分を厳格に規定し、これに対する抗告をみとめているが、抗告に於て無罪の主張はもちろん非行の種類、程度によつて、保護処分の軽重を争うことも出来るのである。これは当然制裁の意義をもつものである。
三、従つて少年法第三条は厳格に解釈すべきであつて、便宣的な解釈は許されないと考える。
そこで少年法第三条の「犯罪少年」についての原決定の論旨を考えるのに、原決定はまず触法少年(法三条一項二号)の処遇と比較するのであるが、触法少年は刑法四一条によつて可罰性を免除されたもので、これは法の擬制である。これに反して心神喪失者の行為は刑罰の基本理念として、可罰性を欠いているのであつて両者の間には大きな相違がある。
次に原決定は少年に対する保護を理由として本来精神病者に対して国が行うべき社会保障的措置を少年法を以つて代用しようとしているように思われる原決定の中の「他に精神衛生法の強制措置をとり得る場合があり、そのような場合にはその措置に委ねることによつて」とある部分は明らかに、この論旨である。
原決定の「善意」は疑うべくもないのであるが、もし少年の犯行が本件の如き重大犯罪でなかつたとしたら、すなわち原決定が引用される虞犯少年の場合であつたならば果して、本件の如き決定をされたかどうかは興味ある問題であろう。
原決定の根本は、少年の犯行が重大犯罪であり、再犯の虞れが大であるところにあると考えざるを得ない。
さきにのべた如く少年法は刑罰法規ではないが、その決定の中では犯罪の認定が下され虞犯少年の場合にも「将来罪を犯し、又は刑罰法令に触れる虞のある少年」と規定されているように少年に対する「犯罪者」の宣言をともなうものであつて深く人権にかかわるものである。
精神異常者は如何に危険であつても犯罪者ではない。これを混同するならば、大きな人権侵害を生ずる虞がある。次の例を考えるならば、この点は明らかであろう。すなわち、、てんかんによる一時的心神喪失者を犯罪少年とすることが(たとえ、保護観察の処分であつても)できるであろうか。
四、念のために、左のような判例を引用する。
昭和四一年八月一六日福岡家庭裁判所小倉支部決定昭和四一年(少)一三六七号「強盗致傷を犯した外因性精神薄弱兼外因性てんかん患者の少年について、てんかんの発作による心神喪失中の行為であるから罪とならないとして、審判不開始の決定をした事例」、昭和四二年三月一三日大阪家庭裁判所決定昭和四一年(少)一〇四〇四号「実母を殺害した精神分裂病の少年を心神喪失中の犯行であるとして審判不開始の決定をした事例」
五、以上述べたように、少年法第一条第一項第一号の「罪を犯した」とは構成要件に該当し、違法かつ有責の行為を指し、少なくとも行為者の人格の現れによるものたることを要し、本件のごとき精神病による心神喪失中の行為を含まないと解されるから、原決定は、決定に影響を及ぼすべき法令の違反あるものとして取消されるべきものである。
第二、処分不当の主張
原決定は「精神分裂病が初期の段階にあり適切な治療によつて、比較的早期に寛解状態になることが期待できる」といつているが、これは危険な独断であるまいか、
また、実際に「初期の段階」にあり「比較的早期に寛解状態になることが期待できる」としても、このような治療を医療少年院に期特できる保証はないのではあるまいか、
医療少年院は病院ではない、精神分裂症のような最も治癒し難く、看護も困難な病人を他の多くの病気も病状も異る少年達の中において十分な治療を行うことができるとは期待できない。
しかも少年院である以上、収容期間に限りがあることは当然である。現に少年の親は「一年か一年半で帰れる」と聞いてきている。
凶悪犯人が、仮出所によつて、意外に早く出所することは世の常識である。少年院を同列におく考えはないが、「少年」という制限はやはり無視できない。
とするならば、少年を医療少年院へ送ることは、病気の治療という点から考えても、有効な方法とは考えられない。この点原決定の善意は実効を期待できないのである。
むしろ少年は両親のもとにかえし、適当な病院へいれて治療させるのが、有効であると考える。